絶望の淵から
2015年11月02日
岡山市在住 O・Mさん
2000年9月16日、一人娘が自らの命を絶ちました。27歳でした。
娘の死を認めることなんて、できるわけありません。
すぐに娘が戻ってくるものと、信じて疑いませんでした。
四十九日の法要が終わりました。・・・・娘は戻ってきません。
主(あるじ)を無くした部屋で一人、片づけを始めました。
思い出のいっぱい詰まった洋服、靴、アクセサリーを一つ一つ手にとっては語りかけ、涙を落としました。
こんな自分の気持ちを整理しようと、それらの品々を、娘と親しくしてくれた方々にお渡しすることにしました。
ですが、傷つき痛んだ心が、そんな簡単に整理できるわけがありません。
気がつくと、心の中で娘に呼びかけています。
「祐子ちゃん、どうしてママに呼びかけてくれないの? 寂しくないの? 辛くないの?」
こうやって毎日毎日、娘に語りかけていました。しかし、娘と会うことはできません。
そんな私にたくさんの方々が、いろいろと助言を下さいます。
「自殺をした者は、暗く冷たい所にいるのだから、こういうふうにお祈りしなさい・・・・」とか、
「早く元気を出さないと、娘さんが良い世界に行けないよ・・・・」などと。
そんな助言を聞いて、私は逆に胸が張り裂けそうになります。心の傷がより広がる思いです。
私の心は、こう叫んでいます。
「あなたの助言は、私の慰めでも何でもない!」
「娘を亡くした親の気持ちをあなたは分かりますか?」と。
悲しみに染まったこの心は、行き場を失ってしまいます。事実、深くふかく閉ざされるばかりでした。
そんな私を気づかい、遠くに住む義姉がたびたび電話をくれました。
「央子さん、もう頑張らなくていいのよ。
自分の好きなように自由に過ごしたらいいのよ・・・・」
その一言で、どれだけ心が安らいだでしょうか。
毎日毎日娘に手を合わせては涙を流し、写真を見れば嗚咽でむせび、どうしたら娘の所に行くことができるのか・・・・、夢でもいいからもう一度娘を抱きしめたい・・・・。
暗く閉ざされた私の心は、完全に行き場を失っていました。
こんな辛い日々が続きました。一人で外出することさえできないまま、六ヶ月が過ぎました。
そんなある日(2001年3月29日)、義姉から電話をもらいました。
「心配事や悩み事を聞いて下さる先生が、岡山の大学にいらっしゃるわよ。よかったら時間をいただいて訪ねて行ってみたら。きっと気持ちが楽になるはずよ」
というアドバイスでしたが、その助言にすぐに従うだけの余力は、残っていませんでした。
4月3日。その日は、朝からずっと泣きどおしで、目が腫れるほどでした。
午後4時頃だったと思います。最後に意を決して、その先生にお電話をしました。
その声はとても優しく安心しました。そして、先生と翌日午後1時にお会いする約束を交わしました。
義姉が、前もってカルキの著書を送ってくれていました。読んでいくうちに、明日、先生にお会いするのに、お祈りすれば絶対一人で外出できると確信できました。
翌朝、起きてすぐ、
「カルキ様、一人で外出できますように。先生にお会いすることができますように」
と、心の中で手を合わせました。
どうしたことか、私は一人で先生の教室の前まで来ていました。一人で外出したのは六ヵ月ぶりのことでした。
これもカルキ様が連れてきて下さったのだと確信し、自然と手を合わせていました。
先生とお会いしたとき、何も隠す必要はない、全部お話をしたらきっと心が落ち着くと思えました。
そして、すべてを正直にうち明けました。
最後に、先生が私の頭に手を置きながら、何かお祈りを始められたときです。
鼻から頭にかけて溜まっていた塊のようなものが、頭からスーッと抜けていくのを感じました。
何ヶ月かぶりに頭が軽くなり、すっきりした気分です。
そして、4月7日に先生のご自宅に伺う約束をして、別れました。
カルキのことが少し理解できた私は、その夜早速、カルキを試しました。
「カルキ様、娘が現在どのような状態でいるのか、どうか私に見せて下さい」とお願いをして、午前1時頃床につきました。
しばらくして目が覚めました。暗闇の中に人影が映りました。
よく見ると、娘が誰かに抱きかかえられています。
そして娘が、その人の肩越しから私の方に視線を向け「ママ、どう?」と言っているように、いたずらっぼく微笑んでいました。
私は、目をしっかり開けました。確かに娘がカルキに抱いていただいていました。
今度は、目を閉じてみました。それでもその映像が鮮明に見えるのです。娘のいたずらっぼく微笑む笑顔が。
六ヶ月もの間、傷つき閉ざされた心が、その瞬間、パーッと溶けていきました。
愛する娘の微笑む姿で私の心はようやく安心感を覚えたのです。
これが夢だとは思えません。なぜなら、飼い犬が部屋の中を歩いている音、主人の寝息がちゃんと聞こえていたのですから。
先生から「4月7日までに、きっと何かがありますよ」と、いただいていたのを思い出しました。
時計に目をやると、午前3時でした。私はすぐに起き上がり、カルキの奇跡に改めて感謝を捧げ、心からお礼を伝えました。
奇跡はそればかりではありません。
4月6日の夜のことでした。何気なく財布を開けてみるとお金が多くなっています。
計算してみると2万円多いのです。私は心の中でカルキに問い掛けました。
「この2万円は何なのでしょう?」
よく考えると、人のために使ったお金が18900円だったのです。
「カルキ様、ありがとうございます。いただいておきます」
感謝の気持ちが自然と湧いてきました。
サットサンガ(注…サットとは清らかさ、サンガとは集いの意味。ここでは「カルキダルマの説明会や集い」を指す)に参加し体験を話すと、先生から「体験談を書いて下さい」と依頼されました。
私は「はい、分かりました」と快く承りました。
その帰り、バスの中での出来事です。体験談を簡単に受けてしまったものの、私に書けるのかしら・・・・と思ったときでした。
私の心の中で、娘が、「さっさと書きなさいよ! カッコつけなくていいんだから」と、お茶目な声で語りかけるのです。
耳を疑いましたが、まぎれもなく娘の声でした。
こんなふうにたった四日間の間に、いろいろな体験をさせていただきました。
閉ざされた私の心に明るい光を与えていただき、神の存在を十分に体験させていただきました。
主カルキにお導き下さった先生、義姉に感謝の気持ちで一杯です。
これからは感じたこと、心に思い描かれたこと、それを信じ、主カルキのお言葉だと信じて日々の生活を送りたいと思います。自分自身、それが一番楽なことですから。
私の最愛なる娘 祐子へ
27年間、楽しい思い出をいっぱいつくってくれてありがとう。
私の娘でいてくれてありがとう。
あなたを娘に持てて、私は誇りに思います。
(以上、「黄金時代の光」(大矢浩史著、出帆新社刊)より転載)

Posted by サフラン at 22:13│Comments(0)
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